日記
2011.05.05.Thu
あの地震から・・・。
久しぶりのブログとなってしまいました。 ・・・もう5月ですね。
3月11日の地震から、なかなか書けずでした。
何を書けばいいか、わからなかったのです。
今、改めてあの日の事を書かせて下さい。
あの日、私は自宅の仕事場にいましたので、すぐに保育園へお迎えに行く事ができました。
たまたま外でのアポイントもなく、たまたま近くにいただけの事です。
多くの保育園ママ・パパ達は遠い仕事場から大変な思いをして、保育園へ駆けつけました。
そして、たまたまその日に限って、コハルは「お別れ遠足」で江ノ島にいました。
ちょうど地震があった時、電車に乗る前だったので、そのまま近くの「片瀬小学校」へ歩いて避難。
電車も動かず、6歳児28人は先生4人と小学校に泊まりとなってしまいました。
保護者達は保育園で9時位まで待機していましたが、電車が動かない事を受け、解散。
子供に会えないまま、
「また地震が来たら、小学校は安全なのか」「津波が来たら、片瀬小学校は海のそばなので大丈夫か」
悪い想像が頭を駆け抜け、
後で聞くと、〝あの晩は眠れなかった〟〝不安で過呼吸になってしまった〟と皆それぞれ、不安な夜を過ごしました。
早朝、動いた電車で保育園の先生が6名、炊きたてのオニギリを持ってお迎えに行って下さり、お昼前にやっと子供達は帰ってきました。
このとき、コハルに会えた時、私は改めてゾッとしました。
あのまま、「いってきまぁす」と、お弁当や水筒を持って笑顔でバイバイしたコハルが、こうやって帰って来た。 でも、帰ってこないのが災害なんだ、あのままもう会えないのが、そんな事が本当に沢山おこってしまったんだ。
そう思うと複雑な気持ちになり、目の前のコハルが生きてる事にとてつもない恐怖のようなモノが押し寄せ、涙も出ませんでした。
大げさかもしれません。
こんな事をブログに書くべきか、迷いましたが、でもこの日の事はちゃんと覚えておかなくっちゃ。
この気持ちを記憶しておかなくては・・・と思いました。
改めて命の大切さ、1日1日の平和な毎日がどんなに有り難いかを思い知らされたのですから。
たった6歳の28人も、カンパン2個と水だけで頑張りました。そして、先生も怖かったでしょうが、28人の前で弱音も吐けず、頑張ってくれました。
お迎えに行ってくださった先生、ずっと待機してくださった先生、この場を借りまして、改めて有難うございました。
避難場所となった片瀬小学校の先生方、遊んでくれたお兄ちゃん、お姉ちゃん、本当に有難うございました。
今でもママ達が解散の時に片瀬小学校の電話番号を携帯に登録しようとしても、指が震えて、なかなか登録できなかったのを思い出します。
待機中もママ達の知った顔に安心し、「今ごろ誰が一番に泣いてるかな」「お腹空いてるやろうけど、何か出てるんかな」と、普通にたわいもない会話を交わしてたけど、いざとなると指が震えてるなんて、・・・。
ピカピカの1年生になったコハル。
災害現場にランドセルが転がってるのを見ると、どうしようもないコントロールできない気持ちになり、涙が出ます。
ママ友達のKさんが「勉強になったわ・・。」と呟いていました。
私達はこの経験から勉強し、成長しなくてはなりません。偉そうな意味でなく・・・。
偉そうな事を言うほど、私に力はありません。
微力すぎて何もできないかもしれないけど、多くの義援金もできないけど、はがゆいけど、でも、この経験を忘れず、日々の大切さを忘れず、ちょっとでも成長しなければ、多くの失われた命に申し訳ない気がします。
穏やかな春が過ぎて、季節はどんどん移り変わって、アッという間に時間は過ぎて行きます。
これからも、
ずっと、
地震だって人間がかなわない自然現象です・・・
自然は人間と関係なく、動き、ただよい、移り変わって行きます・・・・。